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Daisy Diary ~デイジー日記~ vol.1

デイジー

こんにちは!

daisy
daisy

3歳と1歳の男の子兄弟を育てるdaisyです!



昨日 2021年9月1日で ブログを開設してから 1年が経ちました!



ブログを立ち上げてからは、「Twitter」での情報集めやフォロワーさんとの交流がメインとなりたくさんの学びと仲間に出会うことが出来ました。落ち込んでいる時や、悩んでいる時は本当に助けられました。「ブログ」を続けられたのも「ブログ仲間」との交流があったからです。



ですが、書きたい「記事」はたくさん頭に浮かぶのに「ブログ更新」をなかなかできずにいました。


なので今年は「ブログの継続」を念頭に置き、「日記」を書いていこうかと思います。


最近では、2人育児育休明けの仕事復帰、そして遠距離に住む母の介護問題、たくさんの悩みが出てきて「Twitter」では書ききれない想いがたくさん出てきました。


日頃「Twitter」で書いているような内容を「日記」として綴っていこうと思います。




デイジーの状況

日記を書いていく前に、今の私が置かれている状況を簡単に説明していきます。


daisy
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年齢:29歳

技術職の会社員

旦那、3歳と1歳の兄弟、わんこ1匹

4人+1匹 暮らし

3年間の育休を経て2021年4月から時短で仕事復帰

2021年8月より休職中

遠方に熟年離婚した両親(別居)がおり、母親(68歳)が一人暮らし

(母親を呼び寄せる計画中)

こんな感じです。


実は、いま「休職中」なんです。

正確には、「有給消化」をしているところです。


なぜ、現在「休職」しているのか・・・_?



ずばり「ダブルケア」による「精神的負担」が原因でした。

「ダブルケア」とは「育児」と「介護」を同時に行っている状態のことです。



自分が今悩んでいる原因に気づかされてくれたのが、図書館でたまたま借りたこの本「ひとりでやらない 育児・介護のダブルケア」でした。

daisy
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Twitterにも自分の中で印象に残った個所をいくつかツリーとして記録してみました!

この本の詳しい内容についても、今後ブログで記載できたらいいなと思います。





この本を読んで少し救われたのが・・・「介護の定義」でした。


遠距離に暮らしてる母に対して私は「介護」をしているのか・・・?

こちらに「呼び寄せて」からが「介護」の始まをりではないのか?と私自身そう思っていました。


しかし、呼び寄せるまでには、遠距離でも親を気にかけたり親に電話したり手続きを代わりにしたり介護サービスを調べたり代わりにケアマネさんやワーカーさんと連絡をとったりと膨大な労力と時間をかけていました。この本に、これらも立派な「介護」であるということを教えてもらったんです。



頑張った自分を認めてくれた気がして少し気持ちが「ラク」になりました。



2人の幼児と乳幼児を育てながら、このように遠距離で暮らす母の「介護」をしてそのうえ「仕事復帰」をしていた私は、気づかないうちに「精神的にも体力的にも限界」を迎えていたようでした。


デイジーが休職するまで・・・

私が、「休職」になる前日の「Twitter」

2021年8月2日(月曜日)





どうしたんやww


って内容のツイートでしたが

ビックリするくらいの人から反応優しいコメントをもらって、更に泣きました(´;ω;`)笑

この日、会社を目の前にした私は突然涙が止まらなくなったんです。

自分でも、何度も落ち着いて涙を止めようと試みましたが無理でした。

でも、わたしは仕事がしたかったんです


だってやっと子供たちが回復して、大好きな仕事ができると「やる気」に満ち溢れていたはずだったから。

いろんな不安や不満はあったけど、なんで涙が出てくるのか・・・

そんなの私にもわかりませんでした。


今考えれば、涙が出てきた理由は、「いろんなことが重なって精神的負担」になったからだと思っています。



それまでの「不安」や「不満」

それは、時短ワーママが抱える「不満」、母の将来の介護に関する「不安」が大きかったのです。

まさに「ダブルケアラー」の悩みそのものでした。

時短ワーママの不満

涙が出てきた日(8月2日)は月曜日で前月の7月に「RS」「胃腸炎」を兄弟が順番にかかり保育園を休んで看病をする日がほぼ1ヶ月続いていました。

長男は「喘息」をもっていることもあり「咳」が主な症状の「RS」は、長男が毎晩嘔吐する原因ともなりました。これはかなりきつかった・・・

長男が就寝した後も、「咳」をするたびに、「嗚咽」し、いつ嘔吐するかとひやひやしながら夜もそばで見守り、あまり眠れなかった記憶があります。

そしてそういう日に限って次男の「夜泣き」つらかったですね。


もちろん、これらをすべて「1人」で行っていたわけではありません。

幸いなことに、育児に協力的な旦那が長男と一緒に寝てくれて看病してくれたり、有休を使って私の代わりに休んだりと手伝ってくれていましたが、それでも私は週に2日くらいの出勤となり、体力的にも精神的にも疲労困憊な状態でした。旦那は夜勤もあるため私がワンオペの日もありました。


近くに頼れる親戚もいなかったため「ファミサポ」も何回も利用しました。

それでも、大変でした。
きっと、おなじくらい旦那も大変だったんではないかと思います。




仕事を休みがちになった7月は、仕事が好きな私にとって「仕事が思うようにできない」という最大の「ストレス」の要因となりました。

それは、4月に仕事復帰してから「5月6月」が仕事が軌道に乗り、育児家事も思い通りにいっていたからこそ「7月」の思い通りにできなかったという「ギャップ」が大きかったように思います。


私が休むことによって、自分の与えられた仕事を完遂することが出来ない他人に迷惑をかけている、という思いが強くなり、これらが「ストレス」となり重くのしかかりました。

ただでさえ育休明けで「時短」で仕事しているのに、まっとうな「評価」もされない。


子育て前の「フルタイム」で働いていた時よりも2倍も3倍もスピードアップして働き、自宅に帰ってからも「家事・育児」という労働をしているのに「どうして?」「こんに頑張っているのに??」

私の想像している以上に「子育てしながら働く」って重労働でした。

しかも、担当エリア、上司が替わったことにより、復帰前より難しい案件、そしてスピードが要求されていました。

このような「不満」が仕事を休まざるえない状況の中で増幅していったのです。




それでも、仕事を続けたい願望が強い私はいろんな期待をしながらたくさん調べたり考えたりしていました。

そして、上司にある提案をしたのです。

それは、「テレワーク」



しかし、現実問題難しそう・・・

業種的にも「テレワーク」が普及しておらず、会社でもこれからどうしていくべきか?という課題にもなっていたのです。

思い立ってすぐに上司に「テレワーク」を相談したのが「7月30日金曜日」の出来事

この時はまだポジティブでしたね。

部長と話す機会があったため思い立って聞いてみた。

部長にぶった切られた

でもまだ自分のなかでは「ポジティブ」でした。



今考えると、いろんな「不安」「不満」を抱えて、それでも「希望」を見据えて、藁をもすがる思いで必死に考えた「テレワーク」についての構想が私の中で「精神力を保つ最後の綱」だったのかもしれません。

しかし、部長にぶった切られた後いろいろ考えたら「不満」は募るばかりでした。

そして、「最後の綱」は 「ぷつっ」 と切れしまったようでした。



そして、「期待」していたなにかが「もうむりかも・・・」という負の感情へ落ちていった気がします。



遠距離で一人暮らしをしている母

そして、今回「ダブルケア」となったもう一つほ要因が「母の介護」です。

気持ちが落ちていった日(8月2日)は、前述した「仕事への不満」「子育ての疲労」が爆発した形で表れていたと思っていたのですが・・・

本当の「不安」「ストレス」「母の介護」だったのだと思います。



母は、もともと「統合失調症」という病気で「精神科」に長年通院していました。

幼いころの私は、あまり気にしていませんでしたが、今思えば「精神状態は不安定」で「幻聴や幻覚」、「物事をうまく伝えることが出来ない」といった症状はよく見られていました。

私が大学で地元を離れた後、熟年離婚して一人暮らしとなった母は「精神障害2級」を使って、「就労支援」に通い「ヘルパー」からの支援を受けている状態を約10年続けている状態でした。

この10年は、母の一人暮らしも成り立っており「就労支援」が母にとって「いきがい」となっていました。


というより、大学、就職、結婚、子育てを一気にしていた私にとって、母を気にして連絡をとる余裕がなかったため「本当に1人暮らしが成り立っていたのか」不明なところが多いのです。

自分の忙しさに埋もれて、長年「母の様子」を見て見ぬふりをしていたのです。


この「精神障害」以外にも、心臓病や膝の手術により歩行も少しままならない状況でした。(膝に関しては今は改善傾向)

そして、母の現状を知って危機感を覚えたのが(2020年7月)ちょうど1年前のことです。

このころから、「母を呼び寄せようか」と考えるようになりました。

私には兄弟はおらず、「将来の母の介護はどうするのか?」というのは少し考えていましたが、いつかは「私が面倒を見る」という思いはあったので、それなら「元気なうちに呼び寄せたい!」という考えに至ったのです。

そして、母を呼び寄せることで今の自分の子育ての助けにもなるという淡い考えもありました。

そして少しずつ母に提案して、計画はしていたものの「母の意思」「反対」でした。

母本人が「移住したい」という要望が無い限り、障害サービスの「ソーシャルワーカー」「就労支援」のスタッフは移住に関して協力することが出来ません。
なので、いくら私が一人で考えていても、一向に「移住計画」は進むことはありませんでした。



そうこうしているうちに「突然」母の状況が急変しました。


2021年5月に「膀胱炎」による発熱で救急搬送され1週間に入院となり、この入院が母の老化を一気に進行させました。

退院後、久しぶりに連絡をとった母は、どうみても「認知症予備軍」だ!!と思う症状でした。

(私の認知症の知識不足だったのかもしれませんが)

このままでとは、「認知症」に進んでしまうのでは!?思い不安で不安で仕方ありませんでした。


しかし、その後MRIやCTの検査で「認知症」ではなく、中度の「物忘れ」が進行しているだけという結果でした。

この時期、私の仕事復帰も重なり母との連絡もあまりしていなかったこともあり、これが母の老化を進ませてしまった要因ではないのか?と自分を責めるようになりました。

そして、このまま遠距離で「1人暮らし」をさせておくのは危ない!!という思いがより一層強くなったのです。

しかし、毎日、「育児・家事・仕事」に追われる私にとって、物忘れの進んだ「母との会話」をするだけで「ストレス」でした。

けど、会話をすることによって少しでも「脳が活性化」することを信じて何度も連絡をしていました。

それと並行して、ワーカーさんとの連絡も頻繁にするようになりました。入院をきっかけに、母の様子も変わったため、ワーカーさんからも危機感があるようでした。

昼休みや、仕事終わり、本当は一息つきたい時間帯をこの連絡する時間帯にあてていたのです。

今思えば、これも私にとって「ストレス」「疲労」をもたらす要因の一つだったのかもしれません。

資格の勉強

そして、この時期に負担となった要因の1つとして「資格の勉強」も入れておきたいところです。

私は、技術職であるため「資格」の取得が必要不可欠なのです。

今年の7月に試験があったのですが、主に2021年4月~6月の期間で昼休み、子供の寝かしつけ後に勉強をしていました。

試験は残念な結果になりましたが(笑)

7月に試験を終えて、一息つきたいと思っていた矢先に、子供たちの看病が重なったんですよねw

勉強している間は、なんともなかったのですが、やはり気を抜くと一気に疲れがくるものですね・・・

いろんな要因が重なった結果・・・・

考えられる要因をいくつか書いてみましたが・・・

育児(看病)疲れ仕事疲れ仕事の不満資格勉強疲れ親の介護不安介護疲れ

これらが重なった結果

私は「精神的にボロボロ」となりました。

ならない方がおかしいですよねw

泣きながら会社に行った次の日からは仕事に行く気にもならず。。。

人と喋るたびに泣いていましたww

日に日に食欲も落ち。。。

少しやせました( ´艸`)



それでも、仕事は休みながら、いろんな人に助けを求めて、相談したり、調べたりして過ごしていました。

そのときの、心の支えとなったのが「Twitter」の仲間でした。

Twitterが無かったら・・・多分引きこもって孤独だった。


今は・・・

仕事にいけなくなって1ヶ月が経った現在

やっぱり仕事へ行く気力はまだありません。

人と話せば未だに涙がでますw

そして、心療内科で「うつ病」と診断されて会社に報告しました。

(心療内科を予約するのにも3週間くらいかかりましたw)

自分の中では、診断される前に「会社に行けるんじゃないか?」という気持ちは何度もありましたが、診断書をもらえたおかげで、まだ休養が必要だということが分かりました。

それでも「仕事」以外の「家事・育児・介護」は休むわけにはいかないので現在進行中です。


今は、ずっと書きたかった「ブログ」がかけて満足感でいっぱいです。

他にも書きたいことがいっぱいありますが、少しずつ継続してブログを書きたいので今日はこの辺にしておきます。



D,D  vol/1 おわり

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